だらしなブログ

たまにギャグ漫画描いてます(´◉◞౪◟◉)

「才覚」

 今晩は。夕飯をいつもより早めに食べたせいか、お腹いっぱいになり、さっきまで寝ていました。3時間くらい寝て起きて、また腹が減ってきました。いつも深夜のカップ麺ばかりですが、今日はカップ麺やめておきます。
 
 徒歩5分圏内にコンビニがありますので、牛カルビ弁当とメロンパン買ってきて、今食べました。コンビニって、夜遅い時間帯はフランクフルトやメンチカツなどの、ホットフードは置いてないんですよね。おでんも、無かったです。残念です。


 今夜からは、いよいよ有名どころの特集に入りたいと思います。さすがに有名どころはドラマ「真田丸」にも登場していました。

 主役級の紹介、一番手は、木村重成(きむらしげなり)という若武者です。若くて強そうな武将をイメージしながら、落書きを描きました。

木村重成
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 木村重成は、大坂七人衆の一人で、豊臣方武将の中でも特に活躍したうちの一人でした。
 
 重成の母が主君・豊臣秀頼の乳母だったことから、重成は親族同等の扱いを受け、幼少期より側近として仕えていました。

 重成は若かったが、大胆勇猛でありながらも、礼節も重んじる好青年だったと言われています。


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 以前の記事と内容がかぶってしまいますが、木村重成大坂冬の陣が初陣となっています。初陣で見事、敵の名将を討ち取る大功を挙げました。これがきっかけとなり、敵味方ともに、「豊臣家に木村重成あり」と評判になりました(今福の戦い)。

 重成の初陣に同行していた後藤基次は、「初陣のわりに、やけに落ち着いている。言動から強い信念が感じられる。」と評価したという噂があります。

 かの高名な、徳川家臣・本多忠勝も初陣の際に、自身の力のみで敵将を討ち取っています。管理人は、重成にも歴戦の猛者たちと同じような才覚を感じています。

 重成は指揮官としての才覚も持ち合わせていました。夏の陣・若江の戦いでは、敵方の部隊を攻めやすい状態になるよう誘導するように布陣しており、見事この戦でも敵将を討ち取っています。

 しかし、徳川のほうが部隊数が多い為、囲まれるようになり、しだいに激戦となっていきました。その激戦の中で、重成は戦死してしまいます(享年23歳)。

 重成は戦いの直前に、奥さんとお別れの盃を交わして戦いに臨んだとされています。奥さんのお腹には男子が宿っており、戦後に無事出産しました。その後、奥さんは出家して、重成の一周忌を終えてから、重成の後を追って自害してしまいます(享年20歳)。子供は馬淵家というところに婿養子となり、生きながらえました。

 戦死した重成ですが、豊臣と徳川が一時和議をしたときに豊臣家の使者として徳川方に赴いた際、徳川秀忠から礼節を賞賛されています。また、徳川家康からは、死を覚悟していた重成のことを、「天晴れなり。まことの武士」と評価されています。

 初の戦で見事な活躍をし、天下に名を轟かす名将の片鱗を見せ、敵味方・奥さんからも慕われた木村重成。その早すぎる死に誰しもが悲しみ、重成が生きた証を、現代まで語り継いでくれているのでしょう。語り継がれた物語は、今を生きる私達も、次代へと語り継いであげたいと思いました。


参考資料
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E9%87%8D%E6%88%90